東京高等裁判所 昭和34年(ツ)24号 判決 1960年6月30日
事実
被上告人(一審原告、二審控訴人)植松時長は、上告人和田栄が昭和三十年二月十日付を以て振り出した額面金十万円の小切手一通の所持人であるが、被上告人は昭和三十年二月十日右小切手を支払銀行たる三菱銀行西荻窪支店に呈示して支払を求めたところその支払を拒絶されたので、上告人に対し、右小切手金及びこれに対する完済までの利息の支払を求める、と主張した。
上告人和田栄は、被上告人主張の本件小切手は、昭和三十年二月二日頃上告人が、千田敏郎に対し、電気工事代金支払のため先日附で振出交付したもので、千田は三泰商事株式会社に、同会社は被上告人に、それぞれ本件小切手の割引を依頼して預けたものであるから決して譲渡したものではなく、しかも被上告人は、右三泰商事株式会社が千田から割引依頼の趣旨で本件小切手を預かつたものであることを知りながら、千田に対してはもとより、右会社に対しても割引をしないのであるから、本件小切手上の権利を有しないと争つた。
一審中野簡易裁判所は被上告人は手形法上悪意の取得者であるとして被上告人の請求を棄却したが、二審東京地方裁判所は持参人払式小切手はその交付によつて権利が移転するものであり、被上告人が本件小切手金相当額の出捐をしなかつたとしても、それは三泰商事株式会社ないし千田敏郎の人的抗弁事由に過ぎず、従つて本件小切手の振出人である被控訴人の責任に何ら消長をきたすものではないとして、被上告人の請求を認容した。
そこで上告人は、原判決は小切手交付者の意思を無視し単なる事実行為である小切手の交付について権利移転の効果を認めたことになり、それは有価証券法の形式性に目を奪われた独断であると主張、原判決は小切手の譲渡に関する法の解釈を誤つた違法があるから到底破棄を免れないと上告を提起した。
理由
按ずるに、持参人払式の小切手上の権利は小切手の引渡だけで移転することができることはいうまでもないことであるが、そうだからといつて、小切手を所持する者は、常に小切手上の権利者であると即断するのは早計である。けだし、小切手の引渡は、小切手上の権利移転のためになされる場合にのみ小切手上の権利移転が生ずるのであつて、小切手の引渡が保管その他の目的のために行なわれる場合もあり得るからである。この点において原判決は小切手法の解釈を誤つた違法がある。尤も、原判決は証拠によつて、「本件小切手は、昭和三十年一月二十一日頃上告人が電気工事代金支払のため、千田敏郎に対し、先日附で振り出し交付されたもので、千田はこれを換金する必要から、三泰商事株式会社に赴き、同会社専務取締役中村周吉こと藪田大助に会い、本件小切手の割引を依頼して、これを同人に交付したところ、折悪しく同会社には手持資金がなかつたが、藪田は、たまたまその場に来合せた旧知の被上告人に対し、千田を紹介すると共に、千田ともども本件小切手の割引を依頼し、被上告人もこれを容れ、その頃藪田から本件小切手の交付を受けた。」事実を認定しているけれども、これを上記引用の原判示と対照するときは、右千田敏郎より三泰商事株式会社に対する本件小切手の「交付」及び同会社より被上告人に対する本件小切手の「交付」を小切手を「預けること」と同義に使用していないことを保し難いのであつて、もしこれを同義に使用しているのだとすると、被上告人は小切手上の権利を取得しない筈である。従つて原裁判所としては、上告人の前記のような主張に対し、被上告人が本件小切手上の権利を取得するに至つた原因関係につき審理判断しなければならない筋合であるにかかわらず、たやすく前記のように判示して上告人の主張を排斥したのは法律の解釈適用を誤り、延いて審理を尽さなかつた違法があるから、原判決は破棄を免れない。